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塔を見上げて

今は自分の記憶をたよりに、そこから生まれでてくるものを形にしていきたい。
FEATURE
WASHIO TOMOYUKI / 鷲尾 友公

今は自分の記憶をたよりに、
そこから生まれでてくるものを
形にしていきたい。

UPDATE 2020.10.01
COLLABORATOR INTERVIEW
TEXT : YOSHITAKA KURODA (ON READING)
地元名古屋に根を下ろしながら、ワールドワイドに活躍を続けているアーティスト、鷲尾友公。
今回のプロジェクトのキュレーションの大枠を担当した彼が、
展示作品やこのプロジェクトに込めた想いを、自身の活動を振り返りつつ語る。

― 鷲尾さんはどのようにアーティストとしてのキャリアをスタートさせたのですか?


鷲尾 : 絵をやりたくて、美術予備校に通っていたんだけど美大には行けなかったんだよね。そこで出会った友人がクラブでDJやってて、フライヤーのデザインを頼まれて描き始めたのと、造形屋さんのバイト先で、森北(伸)さんに出会って、現代美術の世界を教えてもらったのが、ちょうど同じくらいの時期だったんだよね。絵で、どうやって生きていけばいいのか手探りだった時期だけど、ぼんやりと進む方向が見えてきたというか。

当時、名古屋だとクラブカルチャーの第一線でイラストレーター、グラフィック・デザイナーとして活躍している若野桂さんにも出会えたし、森北さんや杉戸洋さんみたいに現代美術の世界でやっている人にも会っていたんだけど、僕はフライヤーの仕事とかクラブで絵を描いているうちに、その繋がりで仕事をもらえるようになったかな。気が向いたら白土舎(2010年に閉廊した現代美術ギャラリー)とか行って、展覧会も観ていたよ。当時は理解できない部分も多かったけど。

僕の場合、絵は独学だし、ちゃんとした教育も受けていないから、作品の作り方とか考え方とか、今見返してみると未熟だった点もあったとは思う。今も試行錯誤の繰り返しだけど。フライヤー、ポスター、CDのジャケットとかで絵を発表して、それを見てくれた人の反応みながら作っていた部分もあったしね。

― 鷲尾さんって、インタビューだったりトークイベントだったりでよく、「ただ良い絵を描きたい。」とよく言ってるんですよね。それが凄く印象的で。すごく答えにくいとは思うのですが、鷲尾さんにとって「良い絵」ってなんですか?

鷲尾 : そんなこと言ってるっけ?(笑)何かと頑張ります!って言っちゃうアレと同じ感覚だと思うよ。
「良い絵」ってわかんないんだよね。ささっと描いて、満足するときもあれば、時間をかけてもなかなか納得できないこともあるし。でもやっぱり自分に正直に描くってことで自分を納得させているという感じです。

鷲尾 : イラストやデザインとかカルチャーの歴史を掘っていくと60年代、70年代に興味が湧いてきて。あの時代特有の土臭さが面白くて。杉浦康平とか亀倉雄作、永井一正とかね。僕はその中でも特に粟津潔にはまったんだけど。それでいろんな解説とか読んだり調べたりしていると、戦争を体験したことの影響が大きいんじゃないかと思うようになった。やっぱり違うんだよね、発する言葉とか描く線とか。それでずっと気になって研究してたら、金沢21世紀美術館の学芸員の北出さんが面白がって企画に呼んでくれたんだけど、そこで改めて「作品」を描くということに向き合って、大きな転換期になったね。

― 本当に研究熱心ですよね。線の書き方ひとつとっても、飽くなき探求はずっとしてますよね。
絵に対する興味がどんどん更新されていく様子は、端から見ていても感じます。常に新しい表現が生まれていっていますし。

鷲尾 : 常に更新し続けることを意識してるからめっちゃ悩んだりしてるよ(笑)。一時は、絵を描く気力を無くしちゃいそうなこともあったね。なんとか踏ん張って描いたけどね。こないだのあいちトリエンナーレで制作した壁画が、そういうあれこれを経て出来上がった作品だね。あれが描けたことで、続けてみようと思えたね。

あとね、作ることのモチベーションとしては、カッコ悪いものをカッコ良くしたいっていうのもあるね。パンクとかヒップホップとか音楽から受けた影響も大きいと思うんだけど、きちんと地元に根を下ろしながら、世界も目指す感じとか、自分が住んでる街は、どんどんカッコ悪くなっていくけど、自分の周りだけはカッコ良くいたいという想いもあるしね。

― 年齢を重ねて、お子さんも生まれたりして、意識に変化などはありましたか?

鷲尾 : 粟津さんとか、先のデザイナーたちや、僕のおばあちゃんも亡くなって、おじいちゃんも入院してしまった時に、いよいよ戦争を知らない人だけの社会になるんだと思って、なんとなくピリッとしたんだよね。上手く言えないけど自分の活動にも何かしらの責任感というか重圧というか、備わったような気がしたというか。。。知らんけど。

元々商売っ気がないから、自分の興味の対象もどんどん変わっていくんだけど、僕はイラストレーターという意識も低いし、今は、もっと自分の記憶とか経験したこととか、そこから生まれ出てくるものを作りたいかな。情だよね、情。

― 今回、鷲尾さんが、このプロジェクトに参加するアーティストに声がけしたということですが、どういう想いで選んだのですか?

鷲尾 : まずは、地元のアーティストでということだったんだけど、最初、僕が今まで生きてきた中で影響を受けた人というか背中を見てきた人に声をかけさせてもらったんだよね。色々条件もあるから叶わなかった人もいるんだけど。

98年に 「イノセント・マインズ」っていう展覧会が、愛知芸術文化センターで開催されて、奈良(美智)さんとか森北さんとか杉戸さんとか渡辺英司さんとか、額田宣彦さんとか愛知県芸出身のオールスターみたいな方たちの展覧会があって、それを観た時、すごい衝撃を受けてね。それは今でも鮮明に記憶に残ってて。あと同じくらいの時期に、さわひらきにも出会ってて。

僕が今まで活動を続けてきた中で、そういう尊敬する人たちに声がけできるタイミングだったね。一緒にやる自信がついてきたり、一緒にやる楽しさが見えてきたり、それは単純にうれしいことだね。20年かかっちゃったけどようやくここまで来れた感じとか。杉戸さんや森北さんが、美術館とかギャラリーじゃない場所で、どんな作品を作るのかも興味があったし。
あと、宮田明日鹿さんとか今村文さんとか若い作家を誘ったのも、次の世代にも繋げたいという気持ちもあって。それぞれの客室に作品が飾られたのを観たけど、空気がガラッと変わっていいよね。映えになんか興味がない、とっても渋い面子が集まったと思うよ。

TEXT : YOSHITAKA KURODA (ON READING)

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